プロジェクト

次の100年を担う、

新しいビジネスの柱を。

INTRODUCTION

将来的なマーケットを見越し、繊維以外のビジネスの新規開拓にも積極的に力を入れている田村駒。 今回は、産業用資材と生活雑貨という2つのビジネスの中心を担う二人に、事業のこれまでとこれからについて語ってもらった。

小野 浩司  
(1999年入社)

田村駒株式会社

第2事業部第2部

髙橋 祐介  
(2014年入社)

田村駒株式会社

第2事業部第2部

繊維以外のビジネスへの進出の歴史は、実は20年以上前にさかのぼる。「家電に関連する繊維商品で、何かビジネスを広げられないか」。そういった動きの中で始めたのが、布団乾燥機用のナイロン袋だった。このアイデアが功を奏し、次第に国内大手電機メーカー各社から採用されるようになった。それ以降、エアコンのフィルターや室外機の音漏れ防止フェルト、冷蔵庫等に使われる真空断熱材など、少しずつ取り扱い商材を増やし、ビジネスを拡大してきた。このような、繊維ビジネスの先にある可能性を探求するという流れの中で、生活雑貨の取り扱いも始まった。偶然にも、こちらもはじめは布団を保管するための布団袋からだった。
もともとこれらのビジネスは田村駒の本業同様、国内の需要を受けて、海外で安価に作ったものを日本のメーカーに卸すというビジネスモデルだった。しかしビジネス環境は目まぐるしく変わっていく。ある時、もともとモノ作りを依頼していた中国のある工場主から相談を受けた。「ここ数年でコストが上がり、中国でのモノ作りは採算が合わなくなった。逆に日本の品質の高い製品を中国国内で販売してみたいが、何か妙案はないだろうか。」
中国では経済成長とともに、安心安全への欲求が高まっていた。自国の製品には、どんな原料が使われているかわからない。そんな不信感から、JAPAN QUALITY への需要が高まり始めていた。特に子どもの安心安全への危惧は大きなビジネスチャンスだった。「うまく時代のニーズをつかめたのか、食品保存用の容器や氷を作るための製氷皿など、生活にまつわる雑貨類の商売が一気に拡大しました。」そう語るのは、入社後20年以上、田村駒の繊維以外のビジネスを牽引してきた小野浩司課長だ。
日本の高品質な製品を、海外に輸出する。そのビジネスはある程度軌道に乗ったが、小野はその先を見据えていた。「ありものを右から左に流すだけでは、近い将来、価格競争に巻き込まれてビジネスとしての限界がくる。その前に何か手を打たなければならない」。そう考えていた時、偶然、タイの日系百貨店から「うちに店舗を出しませんか」と声がかかった。そこで小野が選んだのは「田村駒オリジナルのブランドを持つ」という選択肢だった。その狙いを小野はこう語る。「似たようなものを売っていたとしても、ブランドのファンが育てばそちらのものを買いたくなる。価格競争に巻き込まれないためにも、独自の付加価値を持ったブランドを立ち上げることにした」と。
しかし、そのプロセスには想像以上の困難が待ち受けていた。ブランド立ち上げ前から小野と行動を共にしている髙橋祐介は、笑いながらこう語る。「ブランドの立ち上げ自体が初めてのことで、店舗開発なんてもってのほか。まさに右も左もわからない状態。そんな中からオープン時に必要な1,000以上の商品選定から、30社以上のパートナーからの仕入れ、店舗の設計、さらには売り場レイアウトの決定など、すべてを自分たちで進めなくてはならなかった。しかも、言葉もロクに通じない海外で…」。最後に工事の遅れなどもあり、まさに間一髪。それでも、なんとか無事にオープンにこぎつけた。
ようやく立ち上がったブランド名は「SIKURA」。現地の評判は上々。少しずつだが、ファンもできはじめている。一方で、国内でも大きな変化が起きている。「はじめの頃は、田村駒の小野ですが、と言っても誰も知らなかった。社名を3回くらい聞き返されるのはあたりまえ。(笑)でも、今ではわざわざ足を運んでくれるメーカーもいる。海外向けの雑貨だったら“田村駒”と少しずつ認知され始めている」。このフラッグシップストアを起点に、日本製品のQUALITYを発信し、卸としてタイ、そしてASEANマーケットへの拡販を目論む。しかし、このストーリーにはさらなるステージがある。
次なる展開は、北米市場への展開だ。ずっとこのビジネスに携わってきた小野はこう語る。「これまで、私たちはお客様の声にひたすら応えることをビジネスとしてきたが、これからはもっと自分たち自身が勝負を仕掛けていかないといけない。世界で最もブランドビジネスが成熟している北米は、勝負の場として申し分ない」北米は、マーケットの規模は言うまでもなく、世界の流行の発信地でもある。そこで流行ったものは、世界のトレンドになる。
マーケットが違えば、当然、売れるものも違う。商習慣の違いはもちろん、商社的機能を持つ企業が存在しない北米市場において、そもそもマーケットへの入り込み方から考えなくてはならない。タイ進出の時同様、試行錯誤しながら北米市場で売れる商品を提案していく必要がある。タイ進出時に1,000以上の商品選定を行った髙橋は言う。「何が売れるのか。正直、まだまだ掴みきれていないのが現状。だが、試行錯誤を繰り返しながら、SIKURAというブランドをオンリーワンに育てていけば、可能性はあると思っている」。
最近、ある商品が大手販売代理店の目に留まり、実際のビジネスに発展する可能性もあるという。しかしそう簡単にはいかない。ビジネスとしての成果が出るのは、もうすこし先になるだろう。とはいえ、まだまだ挑戦は始まったばかり。「SIKURA」の名が北米のマーケットに知れ渡るその日まで、彼らは前に進みつづける。