田村駒の紡ぐ歴史

創業128年を迎える当社の歩みをご紹介します。創業当時のビジネスも受け継ぎながら、時代の変化に合わせてさまざまなことにチャレンジしてきました。

  1. 1894年

    1894年 - 創業

    1894年(明治27年)初代田村駒治郎が「神田屋田村商店」創業。「田村駒ならでは」の商品にこだわり、次々と商品を世に送りだした。モスリンをはじめとした洋反物が業界を席巻。1898年には、意匠・企画力の強化の為「意匠室」を設置。「意匠の田村駒」として一躍名を馳せた。

    1900年

    日本で初めて英国に田村駒指定のプリントを発注。日本柄のついた英国プリントと大評判となる。

  2. 1920年

    1918年 - 1931年 - 海外マーケットへの進出

    1918年、株式会社田村駒商店設立。1920年代の金融恐慌の際には、国内の市場が冷え込む中、販路を海外に求めた。東南アジア諸国のマーケットを開拓するべく積極的に展示会を開催し、販路を開拓した。

    1934年

    国内自社生産が可能である人絹の将来性に着目し、生産部門へと進出。1934年には太陽レーヨン創業。岡山県に工場を竣工し、人絹糸、スフ綿の生産を開始した。

  3. 1940年

    1945年 - 1952年 - メーカーとの共同開発強化

    戦後、不況に苦しむ中、特にスフを中心にメーカーとの特約による新商品企画の開発に注力。また1950年代に入ってからは、メーカーと共同開発した合繊がビジネスの大きな柱に成長した。

    1950年

    2代目田村駒治郎がオーナーだった松竹ロビンスがプロ野球セントラルリーグで優勝。

    1958年

    日中友好商社に指定される。

  4. 1960年

    1961年 - 1969年 - 寝具・インテリア部門の充実

    時代は高度成長期。生活水準が向上し、人々は暮らしにお金をかけるようになった。田村駒はその時代の流れを見逃さず、寝具(室内着・洋布団)とインテリアに積極的に取組み、1965年にはカーテン分野でトップ商社に躍進した。

    1979年

    売上高1,000億円を突破。

  5. 1980年

    1985年 - 製品化・海外生産への重点シフト

    バブル景気から平成不況へ。激しく流動する、先行きの読みにくい時代の流れの中で、田村駒は大きな転換期を迎える。ひとつは、二次製品の戦略的強化。生地ビジネスからの脱却を図った。一方で、生産は海外へとシフト。1985年に上海に事務所を開設したのを皮切りに、北京、ソウル、台北(1986年)を設立。創業100周年である1994年には田村駒(香港)有限公司、2001年に田村駒(上海)紡織品有限公司を設立。その後も、大連(2006年)、ホーチミン事務所(2007年)、天津事務所(2011年)、ヤンゴン事務所(2013年)と、アジアを中心に活動の拠点を広げた。

    1990年 - 1992年

    1990年には、大阪本社が完成。その2年後には、東京支店新社屋が完成。田村駒第二世紀に向けた拠点整備が進んだ。

  6. 2000年

    2005年 - 資材ビジネスの興隆

    「繊維ビジネスの可能性のその先を追求する」という動きの中で始まったのが、産業用資材と住宅関連資材を中心とした資材ビジネス。2005年に品質マネジメント規格の『ISO9001』を取得。今や田村駒のビジネスには欠かすことのできない柱として成長した。2015年には産業用資材専門の拠点として、静岡と栃木の二か所に国内事務所を開設した。

    2014年

    創業120周年。
    東京本社新社屋完成。東京・大阪両本社制開始。

    2017年 - 新コーポレートマーク策定

    海外への輸出強化、さらなるグローバル化を見据えて、コーポレートマークを策定。また同年にはミュンヘン事務所を開設し、輸出事業強化への第一歩を踏み出した。

    2019年 - 創業125周年

    バングラデシュでの生産背景整備の為、ダッカ駐在員事務所を設立

    2019年 - 2020年 - 新しいグループ会社の加入

    第10次中期経営の基本方針に基づき、100円均一市場へ参入の為に株式会社ツクリエを設立。衛生材料の製造販売を営む田倉繃帯工業グループを買収。ワイヤーハーネス製造販売を営むセイコー電機製作所グループを買収。